「解放された世界」

H・G・ウェルズ/水嶋正路訳

ドットブック版 210KB/テキストファイル 172KB

600円

世界の権力志向国家はそれぞれのエゴから、二大陣営にわかれて再び地球規模の戦争状態を引き起こす。そのとき、すでに手にしていた最新の武器である核兵器を使用するのは、当然のなりゆきでもあった。世界の大都市が荒れすさみ瓦礫と化すなかから、ようやく一群の目ざめた人びとが立ち上がり、新しい秩序の形成を求めてスイスのブリサーゴに会する……第一次世界大戦勃発直前の1914年に書かれた本書は、遠く1950年代に舞台を設定し、驚くべき洞察力で未来戦争を描いたSF巨編だ。
立ち読みフロア

 さらにパリに接近すれば、警察の非常線にぶつかったことだろう。家にもどろうとする人びと、家にもどって「危険区域内」から大切な品物を救いだそうとする必死の人びとを食いとめようとする非常線である。
「危険区域」は、かなりでたらめに決めてあった。たとえ非常線を通過して中に入ることを許されても、ここは、やはり轟音がひびき、たえず雷鳴のような音がとどろき、奇妙な紫がかった赤い光がさして、放射性物質の絶え間ない爆発のために、ふるえ、ゆれつづけているのであった。ビルディングが幾区画も全体的に燃え立って猛烈な火を吹きだしていたが、そのふるえる火勢も、背後のネットリとした真紅の光とくらべると、青白い亡霊のようにしか映らなかった。燃えつきた他の大建築の殻が、黒い窓跡を何列もひらいて、赤いモヤを背景にして、いくつもそびえ立っている。一歩すすめば、活火山の火口のなかへ一歩おりていくほどの危険がある。煮えたぎり、旋回する原子爆弾落下地点は、意外なときに、場所を移動したり、新しい土地にもぐりこんでいったりして爆発する。そのたびに、吹きあげられる土の固まりや排水管、石や煉瓦などが、いつ頭の上に飛んでくるともしれないし、いつ足元の地面が火の墓をひらかないともかぎらない。こういう破壊地域に入りこんでいって、さいわい命を落とさずにすんだ者でも、もう一度冒険を繰りかえそうとする者はほとんどなかった。発光性の放射性蒸気が噴きだして、それが時に、爆弾落下地点から数十マイル流れていって、これに触れた人を皆殺しにしたり、火傷させたりしたという話がいくつも伝えられている。パリの爆心地に発生した最初の大火災は、西へひろがり、海への距離の中程にまで達したのである。
 さらに、この赤い光に照らされる廃墟の地獄のような中心部では、空気が変に乾燥していて、火ぶくれを発生させる性質があり、そのために皮膚や肺が痛み、これがまた、なかなか直らないのであった。
 これが、パリの最後の様相であり、これを、もっと大規模にしたのが、シカゴの状態だった。そして、同じ運命が、ベルリン、モスクワ、東京、ロンドンの東半分、ツーロン、キール、その他二百十八箇所の人口密集地、あるいは軍需工場地域を襲ったのであった。それぞれの都市は、赤く火を吹きあげながら燃えていたが、その火は時が来なければけっして消えることのない火であった。じつは、いまだに燃えつづけている都市も多い。火勢はつねに弱まり、騒音も減少してはいくけれども、こんにちまで、これらの爆発はつづいている。世界中のほとんど全ての国の地図に、三つか四つ、あるいはそれ以上、赤丸がついている箇所があるが、これは直径二十マイルの円をあらわすもので、おとろえていく原子爆弾の位置、人びとが立ちのきを余儀なくされた死の地域を示したものである。この赤じるしの地域で、博物館、大寺院、宮殿、図書館、傑作を陳列した美術館、その他の巨大な人間の業績が滅び去ったのであって、その黒焦げになった残骸は、いまだに地下に埋もれたままである。いつの日か、未来の世代のものが発掘して調査することもあろう。

……第四章より


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