「野草雑記・野鳥雑記」

柳田国男著

ドットブック版 244KB/テキストファイル 151KB

400円

タンポポ、ツクシ、ヒバリ、カラス、スズメ…昭和初年、東京郊外の砧(きぬた)村に移り住んだ柳田国男は、武蔵野に生きる小さな野の草や野鳥に慈愛深いまなざしをそそぎつづけた。身近な友である野の草花・鳥たちを見つめ、呼び名・数々の昔話に人との長いかかわりを明らかにする。 

柳田国男(やなぎたくにお)(1875〜1962)現在の兵庫県神崎郡福崎町生まれ。日本における民俗学の開拓者。東京帝大卒業後、農商務省にはいり、仕事の関係で各地を旅行、同時に早稲田大学で農政学を講義する。山地の民俗に興味をいだき『遠野物語』を著わすが、以降は幅広く各地の民俗を研究・調査、「方言」「昔話」「伝説」「童謡」などをテーマにした多くの著作を著わした。  

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蒲公英(タンポポ)

 一

 春になって郊外の道をあるくたびに、何度となく考えてみたことであるが、タンポポは日本の昔からの野の草だ。これが新しい春の日の光に輝いて、黒い土の上に咲いているのを見て、目を喜ばしめなかった人はなかったろう。そうすれば必ず名があったはずである。歌を詠(よ)まなかった万葉時代のわれわれは、はたしてこの草を何と呼んでいたろうか。以前よい名があって不幸にして忘れられたか。ただしはまた歌に向かないタンポポが古語であったために、こうしていつまでも子供にしか省みられないのであろうか。われわれの物の名はだれが作り、だれがこれから先は管理してゆくのであろうか。こういう答えのないいろいろの問いが、今ではまだ野に満ちているように思う。
 学者が都市に住んで標準語というものを守り立てるまでは、タンポポという草の名の行なわれていた区域は案外に狭いものであった。それが今日のように流行したもとは、あるいは京都の子供の力であったかもしれない。地方には今でもまだ幾つかの、大人が付けたかと思う名称が、何となく押し込められて残っている。それがかけ離れた遠くの土地において一致しているのは、偶然とはいいがたいように思う。そういう中からあるいは今一度、昔使っていた尋常の日本語を、見出すようなことがないとはいわれぬのである。
 たとえば千葉県では上総(かずさ)の各郡にわたって、蒲公英(たんぽぽ)をニガナという方言が行なわれている。以前春の野の草を野菜として摘んでいたころには、確かににがいということがこの植物の特徴であったろう。鹿児島県でも奄美(あまみ)大島の北の村々はやはりこの草をニギャナといい、にがいから苦菜(にがな)だと説明せられている。
 それから今一つ、分布のさらに広い方言がある。岐阜県では山に属する北半分、信州でも主として北信の諸郡において、クジナといっているのがそれである。俳諧寺一茶(はいかいじいっさ)の『方言雑集』の中にも、ちょうどあの人を詠じたような、一章の臼唄(うすうた)〔臼をひき、または搗(つ)きながら歌う歌〕を書き留めている。

 男やもめとクジナの花は盛り過ぎれば御坊(ごぼう)となる

 この御坊はすなわち坊主であるが、この草の花が綿になって飛んだあと、あたかも坊主のような頭になる点が似ていたのである。
 クジナという名詞もまた飛び散って奥羽の所々に行なわれている。例えば宮城・山形の二県の南半分でクジナまたはグジナ、九戸(くのへ)の葛巻(くずまき)付近ではクジッケァともいっている。羽前も米沢(よねざわ)あたりはタンポポに近い花の名が別にあって、若い葉を食料にする場合ばかり、クジナという語を用いるのである。越後でもグズナは野菜としての蒲公英の名であった。たぶんは北信などの臼唄と同様に、もとはタンポポもクジナの花で通っていたのであろう。
 佐渡にもクチクチナという村がある。土地によってはまれにはクデナという所もあるらしいが、そのほうは転訛(てんか)である。『倭名紗(わみょうしょう)』には、蒲公草和名フジナ、またタナともいうとあって、タナのほうは今は痕跡もないが、カ行とハ行とは、日本ではもと紛れやすい音であった。すなわち少なくともかつてある時代に、京都の上流の間にもクジナに近い語は認められていたのである。ただし何ゆえにこの草をフジ菜といったかは、今はまだニガ菜のように明らかになっていない。『和訓栞(わくんのしおり)』には、藤菜の意味であろうとあるが、少しも根拠はないのだから解説でも何でもない。それよりもいま一足遠くへ尋ねて行って、さらにこれ以外にどんな名前があるかを、知っておくほうが私たちには楽しみである。しかしこうした気の長い穿鑿(せんさく)にははたして世間の賛同が得られようかどうか。いつも一人で野中の道をあるいている者には、いっこうに見当が付かぬのである。

 二

 タンポポの代りに行なわれている方言は、まだ幾つでも意外なものがある。信州でも山を越えて諏訪(すわ)の湖岸に下ると、そこにはクジナもあるが、それよりもガンボウジのほうがよく知られている。甲州でも国なかの平野はガンボウジ、伊那も上下二郡がすべてそのとおりで、飯田(いいだ)の城下にはまたガンボという語もある。クジナの行なわれている善光寺平(ぜんこうじだいら)などにも、やはりガンボジという名が知られているのを見ると、これは花のほうをさしていたものらしい。私の今の想像では、ガンボウジは子供などの頭の「おかっぱ」のことであって、あの愛らしい花の姿を、形容した語ではなかったろうかと思う。これとよく似た例は白頭翁、歌にオキナグサという花の名の、土地さまざまの変化であるが、それは他日また別にお話をしてみたい。とにかくにこれとクジナとの間には、最初から語原の関係はなかったようである。
 その次には越後の弥彦山(やひこやま)の麓(ふもと)の村などに、ゴゴジョウというのがまたタンポポのことである。これは諏訪あたりのガンボウジと、あるいは系統を同じくしているかと思うが、それもまだ変化の道筋が考えられぬ。同じ例ははるかに飛び離れて、南秋田の八郎潟(はちろうがた)の岸の村々に、ゴゴロッコまたはゴゴという語があるのは妙であるが、現在はまだこの二所以外に蒲公英をゴゴ、もしくはこれに近い音で呼んでいる地方は知らない。
 同じ秋田県でも北秋田郡の一部はクマボ、山本郡ではクマクマという土地がある。青森県も二つの市をはじめ、津軽は全体にクマクマという村が多く、ただ北端の小泊(ことまり)などにおいて、これをカコモコまたはクワモコといっているのである。あるいはアイヌ語からでも出たのではないかと思って、念のためにバチェラー氏の辞典を引いてみたが違っている。福井県の南条郡にはカッポコという例があるが、これはむしろ後にいうタンポポの変化であって、カコモコとは縁がないようである。
 何にもせよ今は名の起こった理由までが、まるで不明になっているのだから、歴史を問うことがことにむつかしい。ところが他の一方にはなおいろいろの方言で、どうしてできたかを想像しえられるものが残っている。まことにたわいもないことではあるが、それをはっきりと知っておくと、後に類推によって思いのほかの解説が成り立つかもしれぬ望みがある。まずいちばんわかりやすいものからいうならば、信州北佐久郡の一部で蒲公英をチチグサ、これは疑いもなく乳草であって、あの花茎を折って白い汁のしたたるのを、母の乳房に思い寄せたのである。作者の髭男(ひげおとこ)(父(チチ))でなかったことだけは断定してもさしつかえはあるまい。加賀の金沢でこの花をヤケドハナというと、私に教えてくれた人があるが、もしあるいはヤイトバナの記憶違いではないか。もう一度別の人に聞いて確かめたいと思っている。自分などの幼いころには、タンポポの茎を折って折れ口を膚(はだ)に押すと、小さな丸い乳の輪ができる。その上を麦の黒穂でたたいて、ちょうどお炙(きゅう)の跡のようになるのを、ヤイトをすえるといって遊んでいた。しかしそのためにヤイト草という新名を、この草に付与した実例はまだ聞いていないが、チチグサという方は信州と百数十里を隔てた、広島県の倉橋島にも同じ例があるのである。
 それからいま一つ児童の命名になるかと思うのは、相州(愛甲郡煤ヶ谷(あいこうぐんすすがや)愛甲郡煤ヶ谷(すすがや)の山村などで、蒲公英をピーピーバナ、東上総の海岸でビンビバナというもので、これはあの茎を切って草笛を作って吹いた者の、記念であったことはいうまでもない。西の方では摂州の有馬郡などで、シービビといったのも同じ趣旨である。私の在所はそれから十四、五里も離れた処であるが、シービビというのは青麦の茎を折って、吹きならす笛であった。子供によっては麦の黒穂のことを、シービビというのだと思っている者もあった。そうして自分もまた口でシービビといって吹くためか、私たちの耳には明瞭にそれがシービビと聞えたのである。

……「野草雑記」より


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