「夜明け前」(全4巻)

島崎藤村作

一巻  ドットブック 377KB/テキストファイル 241KB

  ドットブック 361KB/テキストファイル 222KB

  ドットブック 352KB/テキストファイル 214KB

巻     ドットブック 411KB/テキストファイル 278KB

各500円

「夜明け前」は、単純にただ青山半蔵なる一人の人物だけを主人公にした作品ではない。ここでは馬籠(まごめ)という木曾谷の古い宿場に息づく歴史そのものが、主人公であったかもしれない。いや、馬籠だけではない、古い日本から新しい日本へと、そこには得意、失意さまざまの運命を巻き込んで変転する三十数年間の歴史そのものこそが、主人公であるかもしれないのだ。「木曾路はすべて山の中である」にはじまる書き起しの一節は、作者自身どこまで意識していたかはわからないが、いかにも叙事詩を思わせる暗示的な導入部である。……中野好夫。
「夜明け前」は何度読んでもぼくを感動させる。陶酔はますます深まり、ぼくの月並みな思念は千々にみだれ、目前の言葉と言葉の合間に、意味しえぬ意味がひろやかに、しかも幾重にも層をなして透けてくるように思える。陶酔から醒めたときに、ぼくははるかなる彼方をかえりみるように、あるいは遠い昔のことを思いだすようにして、この小説がぼくに経験させてくれたものの意味を考えようとする。ぼくが想いみたものは、あるときは、ありとあらゆるものを食い尽してゆく時間についての作者の毅然たる形而上学であり、あるときは主人公青山半蔵の悲槍な劇的生涯であり、またあるときは、ぼくたちの祖国が、黒船の到来とともにヨーロッパから押し寄せてきた近代の巨大な波濤に、身をさらしながら切り拓いてきたぼくたち自身の近代の困難さであった。……篠田一士。


島崎藤村(1872〜1943)信州の馬籠(現在の岐阜県中津川市)生まれ。本名は島崎春樹(はるき)。9歳のとき上京し泰明小学校に通う。明治学院普通部本科卒業。雑誌に訳文や随筆などを寄稿するようになり、1896年に発表した詩集「若菜集」でデビュー、浪漫主義の旗手となった。99年、小諸義塾の教師としてに赴任、この経験が「千曲川のスケッチ」となった。再び上京して「破戒」を自費出版、自然主義小説として絶賛された。「春」「家」「新生」などを発表のあと、1929年から35年にかけて父正樹をモデルとした歴史小説「夜明け前」を完成した。
立ち読みフロア
序の章

 木曾路(きそじ)はすべて山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖(がけ)の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道(かいどう)はこの深い森林地帯を貫いていた。
 東ざかいの桜沢から、西の十曲峠(じっきょくとうげ)まで、木曾十一宿(しゅく)はこの街道に添うて、二十二里余にわたる長い谿谷(けいこく)の間に散在していた。道路の位置も幾たびか改まったもので、古道はいつのまにか深い山間(やまあい)に埋(うず)もれた。名高い桟(かけはし)も、蔦(つた)のかずらを頼みにしたような危(あぶな)い場処ではなくなって、徳川時代の末にはすでに渡ることのできる橋であった。新規に新規にとできた道はだんだん谷の下の方の位置へと降(くだ)って来た。道の狭いところには、木を伐(き)って並べ、藤(ふじ)づるでからめ、それで街道の狭いのを補った。長い間にこの木曾路に起こって来た変化は、いくらかずつでも嶮岨(けんそ)な山坂の多いところを歩きよくした。そのかわり、大雨ごとにやって来る河水の氾濫(はんらん)が旅行を困難にする。そのたびに旅人は最寄(もよ)り最寄りの宿場に逗留(とうりゅう)して、道路の開通を待つこともめずらしくない。
 この街道の変遷は幾世紀にわたる封建時代の発達をも、その制度組織の用心深さをも語っていた。鉄砲を改め女を改めるほど旅行者の取り締まりを厳重にした時代に、これほどよい要害の地勢もないからである。この谿谷(けいこく)の最も深いところには木曾福島(きそふくしま)の関所も隠れていた。
 東山道(とうさんどう)とも言い、木曾街道六十九次(つぎ)とも言った駅路の一部がここだ。この道は東は板橋(いたばし)を経て江戸に続き、西は大津(おおつ)を経て京都にまで続いて行っている。東海道方面を回らないほどの旅人は、否(いや)でも応(おう)でもこの道を踏まねばならぬ。一里ごとに塚(つか)を築き、榎(えのき)を植えて、里程を知るたよりとした昔は、旅人はいずれも道中記をふところにして、宿場から宿場へとかかりながら、この街道筋を往来した。
 馬籠(まごめ)は木曾十一宿の一つで、この長い谿谷の尽きたところにある。西よりする木曾路の最初の入り口にあたる。そこは美濃境(みのざかい)にも近い。美濃方面から十曲峠に添うて、曲がりくねった山坂をよじ登って来るものは、高い峠の上の位置にこの宿(しゅく)を見つける。街道の両側には一段ずつ石垣(いしがき)を築いてその上に民家を建てたようなところで、風雪をしのぐための石を載せた板屋根がその左右に並んでいる。宿場らしい高札(こうさつ)の立つところを中心に、本陣(ほんじん)、問屋(といや)、年寄(としより)、伝馬役(てんまやく)、定歩行役(じょうほこうやく)、水役(みずやく)、七里役(しちりやく)(飛脚)などより成る百軒ばかりの家々が主(おも)な部分で、まだそのほかに宿内の控えとなっている小名(こな)の家数を加えると六十軒ばかりの民家を数える。荒町(あらまち)、みつや、横手(よこて)、中のかや、岩田(いわた)、峠(とうげ)などの部落がそれだ。そこの宿はずれでは狸(たぬき)の膏薬(こうやく)を売る。名物栗(くり)こわめしの看板を軒に掛けて、往来の客を待つ御休処(おやすみどころ)もある。山の中とは言いながら、広い空は恵那山(えなさん)のふもとの方にひらけて、美濃の平野を望むことのできるような位置にもある。なんとなく西の空気も通(かよ)って来るようなところだ。


……冒頭より


購入手続きへ(一巻 二巻 三巻 四巻


*** 作品一覧へ *** ホームページへ ***