「若き詩人への手紙」

リルケ/佐藤晃一訳

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400円

職業と文学への志の食いちがいに悩む青年にむけて書かれた「若き詩人への手紙」は、たんなる芸術論ではなく、孤独について、職業について、家庭についてなど、幅のひろい人生論として、さまざまな刺激と励ましに満ちた書。第二部「愛する人たちへ」はリルケのさまざまな面を明らかにする書簡集である。

ライネル・マリア・リルケ(1875〜1926)プラハ生まれのドイツの詩人。パリをはじめヨーロッパ各地を旅行、その体験をもとに、愛と死と孤独を深く追求した数多くを詩を発表、二十世紀を代表する詩人となった。「神様の話」「マルテの手記」の著作のほか、詩集「ドゥイノの悲歌」などがある。

立ち読みフロア
 拝復 お手紙はやっと二、三日前に落手いたしました。お手紙にあふれた好意のある大きなご信頼に感謝いたします。それ以上のことは、ほとんどできません。あなたの詩の様式に立ち入ってとやかく申しあげることはできません。批評的意図というものがすべて私にはあまりにも縁遠いものだからです。批評的なことばによるくらい、芸術作品に触れえないことはありません。批評的なことばを弄《ろう》するさいには、いつも、多かれ少なかれおめでたい誤解に終わります。あらゆる事物は、たいていの人々が私たちに信じさせたがるほど、理解できるものでもなく、ことばでいいあらわせるものでもありません。たいていの出来事は、ことばでいいあらわせるものではなくて、ことばがけっしてはいりこんだことのない場所で起こります。そして、あらゆるものにもましてことばでいいあらわせないものは芸術作品という神秘的な存在で、その生命は、私たちのはかない生命の横で、いつまでもつづいてゆきます。
 前もってこれだけのご注意をいたしますと、私からあなたに申しあげられることは、あなたの詩には独自な様式はないけれども、個性的なものに至ろうとする、ひそかな、隠れた素質があるということだけです。これは、『わが魂』という最後の詩に最も明らかに感ぜられます。この詩では、ある独自なものが歌詞と旋律とを作りあげようとしています。それから、『レオパルディに寄す』(*)という美しい詩には、この偉大な孤独の人との一種の親近関係がはぐくまれているように思われます。それにもかかわらず、これらの詩はまだそれだけを取ってみることのできるものではありません。独立したものではありません。最後の詩もレオパルディに寄せた詩も、そうではありません。詩に添えてあるお手紙こそは、私があなたの詩を読んで感じはしたものの、はっきりと名をあげることのできなかったいろいろな欠点を、まちがいなく説明してくれています。
 あなたは、ご自分の詩がよいものかどうかとお尋ねなさる。私にお尋ねなさる。あなたは前には他の人々にお尋ねになったのです。あなたは詩を雑誌にお送りなさる。あなたはそれを他人の詩と比較なさる。そして、あなたの試作がある編集者に拒絶されると、不安をお感じになる。そこで(ご忠告申しあげてよいというお許しがあったのですから)私は、そういうことはいっさいおやめになるようにお願いします。あなたは外部を見ておいでになりますが、それは何よりもまず今なさってはいけないことだと思われます。誰にも、あなたに忠告してあなたを助けることはできません、誰にもできません。ただ一つの方法があるだけです。沈思黙考しなさい。あなたに書けと命ずる根拠をお窮めなさい、その根拠があなたの心の最も深いところで根を張り伸ばしているかどうか吟味しなさい、書くことを拒まれると死なずにはいられないかどうか、白状してごらんなさい。なによりもまず、あなたの夜の最も静かな時間に、自分は書かずにはいられないのか、とご自分にお尋ねなさい。心のなかを掘って深い返事をお捜しなさい。そして、もしこの返事が賛成の返事になるならば、もしあなたがこの真剣な問いに、「私は書かずにはいられない」という強い簡単な返事をすることがおできになるならば、そのときには、あなたの生活をこの必然性に従ってお建てなさい。あなたの生活は、その最もどうでもいいような、最も取るに足りないような瞬間にいたるまで、このやみがたい心の動きのしるしになり、証言にならなければなりません。そのときには自然にお近づきなさい。そのときには、あなたが見、体験し、愛し、失うものを、最初の人間のようになって言いあらわす努力をなさい。恋愛詩をお書きになってはいけません。最初は、あまり知れわたっている月並みな形式はお避けなさい、そういう形式は、いちばんむずかしいものなのです、と申しますのも、りっぱな、部分的には輝かしい代々の作品がたくさんあるところで独自なものを生み出すのには、大きな成熟した力が必要だからです。それゆえ一般的な主題を避けて、あなたご自身の日常生活が提供する主題をお取りなさい、ご自分の悲しみや望み、つかの間の考え、何らかの美に対する信仰を描きなさい――こういうすべてのことを、心からの静かな謙遜《けんそん》な誠実をこめて、描きなさい、そして、ご自分の心をいいあらわすためには、あなたの周囲の事物、あなたの夢の形姿、あなたの思い出の対象をお使いなさい。もしご自分の日常が貧しく見えるならば、日常を非難しないで、ご自分を非難しなさい、自分は十分な詩人ではないから、日常の豊かさを呼び出すことができないのだ、と自白しなさい。創造する人には、貧しさというものも、貧しくてどうでもよいというような場所もないものだからです。もしあなたが牢獄につながれていて、牢獄の壁が世の中のざわめきをすこしもあなたの五官に伝えないとしても――あなたにはやはりあなたの幼年時代という、この貴重な、王者のような富、この思い出の宝庫があるではありませんか。そこへあなたの注意をお向けなさい。このはるかな過去の沈んだ感動を浮きあがらせるようにお努めなさい。そうすれば、あなたの個性は強くなるでしょう、あなたの孤独は広くなり、しだいに明るくなる住まいになって、他の人々が起こす騒音はその住まいの遠くを通りすぎるでしょう。――そして、この内部への転向から、自分の世界への沈潜から、詩《ヽ》が生まれ出るならば、あなたは、それがよい詩《ヽ》かどうかと、誰かに尋ねてみようとはお考えにならないでしょう。あなたはまた、雑誌をしてこういう作品に興味を持たせようという試みもなさらないでしょう、と申しますのも、あなたはこれらの作品を、あなたが生まれながらに持っておいでになるもの、あなたの生命の一片であり声であるとお考えになるように思われるからです。
 芸術作品は、必然の結果になるものならば、よいものです。芸術作品の出所がこういうものであるかないかを見るのが、芸術作品の判断で、それ以外の判断はありません。それゆえ私はあなたにこうご忠告申しあげるよりほかになかったのです、すなわち、沈思黙考して、あなたの生活が生まれてくる深みを吟味しなさい、あなたは、あなたの生活のみなもとで、創造しないではいられない《ヽヽヽヽヽ》かどうかという問いの返事を見いだすでしょう、と。その返事を、聞こえるがままに、解釈をしないで、お受け取りなさい。たぶん、あなたが芸術家たるの天職を授かっているということが証明されるかもしれません。そのときは、その運命をお引受けなさい、そして外部から来るかもしれない報酬のことは、けっして問題にしないで、その運命を、運命の重さと大きさとを、耐え忍びなさい。創造する人は独自の世界でなければならないし、あらゆるものを、自分のなかと、自分がつき従った自然のなかとに見いださなければならないからです。

……「
私は書かずにはいられない」より

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